過去にも、今にも、未来にも 皆にて謗る人もなく皆にて褒むる人もなし(法句経)

おはようございます

飯田隆史です。

 

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ああ、そうであったか
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江戸時代に白隠(はくいん)という禅僧がいました。

 

 

ある日、門前の酒屋の美人で評判の娘が、未婚なのに妊娠したのです・・

目立つにつれて悪事千里、噂はたちまち世間に広まり父親は強く娘を責めました。

 

本当の事を告白すれば大変と思った娘は、生き仏といわれている白隠さんの子供だと言えば、事は穏便に収まるだろうと苦し紛れにそっと母親に打ち明けました。

 

「実は、白隠さんのお種です」

 

それを聞いて激怒した父親は、早速、土足のままで寺へ踏み込みました。

「和尚いるか!!」

と面会を強要し、悪口雑言の限りを尽くしても腹立ちは収まらず、生まれてくる子供の養育費を催促しました。

 

すると、さすが白隠。

「ああ、そうであったか」

と言いながら、若干の養育費を渡しました。

 

まさかと、それまで信じていた人たちも、やっぱりニセ坊主であったかと噂は世間にぱっと広まりました。

 

聞くに堪えない世間の罵詈讒謗(ばりざんぼう)にも

「謗る者をして謗らしめよ

言う者をして言わしめよ

言うことは他のことである。

受ける受けざるは我のことである」

と白隠は少しも心にとどめない。

 

 

思いもよらぬ反響に苦しんだ娘は、ついに真実を親に白状せずにおれなくなりました。

 

真相を知った親は二度びっくり。

 

早速、娘を連れて寺へ行き、平身低頭(へいしんていとう)土下座して重ね重ねの無礼をわびました。

 

 

ところが、白隠は

「ああ、そうであったか」 と

その時もそう言って、うなずいただけでした。

 

 

 

誠実安穏に暮らしていても、時として、あらぬウワサや中傷に驚き、悩み苦しみ、腹立つことがあります。

 

しかし、やがて時の流れが洗い出す事実は、名人の打つ太鼓のように遠く世に響くのですね。

 

「過去にも、今にも、未来にも

皆にて謗る人もなく

皆にて褒むる人もなし」(法句経)