成果をあげるよりも高い目標とは?対するお釈迦様の答え-人生を劇的に変える“ドラッカーと仏教”⑤
「1からわかる仏教講座」スタッフの minami です。
このブログでは、仏教講座のテーマである「人生を劇的に変える“ドラッカーと仏教”」の内容の一部をご紹介しています。
前回は、強みを活かして取り組むべき「マーケティング」と「イノベーション」についてお話ししました。
前回の記事はこちら
[blogcard url=”https://japan-buddhism.com/2908.html”]今回は、ドラッカーの人生哲学ついてご紹介をします。
成果をあげるよりも高い目標とは?
前回まででご紹介したように、高い成果を上げるためにドラッカーはマネジメントを体系的に教えました。
しかしそのドラッカーも『経営者の条件』でこう語っています。
確かに人生には、成果をあげるエグゼクティブになることよりも高い目標がある。
成果をあげることよりも高い目標とは、何なのでしょうか?
成果をあげることで他者に貢献をし、社会の役に立てているときに、人は自分の価値を感じ、人生に意味を見出すことができます。
しかしどんなに優れた人であっても、成果を出し続けること、いわば社会にとって有用な道具であり続けることはできません。
老いや病によって、それまで当たり前にできていたこともできなくなってしまいます。
仮に成果をあげることのみが人生のすべてであるとすれば、社会にとって有用でなくなった自分は無価値な存在と思い、人生に意味を見出だせず、一切がむなしく感じられてしまうでしょう。
それではあまりにさびしく、苦しい人生となってしまいますね。
だから、どんな状態になっても果たすべき人生の目的を知ってこそ、自分の本当の価値を知って、前向きに生きることができるのです。
それこそ、ドラッカーの語る「成果をあげるよりも高い目標」なのではないでしょうか。
人生の目的がはっきりすれば、自分の価値をさらに高めるために成果をあげる努力をすることにも一層、力が入るでしょう。
そんな万人が果たすべき目的を教えられているのが、仏教を説かれたお釈迦様なのです。
万人の人生の目的を教えられた、お釈迦様の言葉
その人生の目的があることを教えられたお釈迦様のお言葉が
天上天下 唯我独尊
です。
これはよく知られているとともに、誤解もされています。
「唯我独尊」を「ただ、我独りが尊い」という意味でとらえ、ボクシング漫画のタイトルにされたり、特攻服に刺繍されたりしています。
また、人の意見を聞かずに自分の意見こそ正しいと思っている人を「唯我独尊的な人」と使われることもあります。
しかしもし「唯我独尊」がそのような意味なら、お釈迦様が「大宇宙でただ我独りこそ尊い、偉い」と言われたことになります。
今日も多くの人に影響を与え、尊敬されているお釈迦様が、そんな驕り高ぶったことを言われたとは考えられないですね。
「ただ、我独りが尊い」というのは誤解であり、「唯我独尊」の正しい意味は、「我々人間には、たった一つの尊い使命がある」ということです。
「我」はお釈迦様だけではなく、「我々人間」。
「独尊」が「たった一つの尊い使命」ということです。
「大宇宙(=天上天下)で、我々人間にしか果たすのことのできないたった一つの使命がある」という宣言が、「天上天下 唯我独尊」なのです。
尊い使命とは、どんな人間にもあるものであり、共通した目的、ということです。
健常者も障害を抱えた人も、老いた人、病気で身体の自由がきかなくなって成果を生み出せなくなった人であっても、共通した生きる目的がある、といわれているのです。
仏教には、そのような大事な使命があることが教えられているのですね。
ではその万人に共通した目的とは何でしょうか?
非常に深い内容ゆえ、ブログでは書ききれませんが、仏教の通信講座ではその内容について詳しくお話ししていますので、ご関心あればぜひ閲覧いただければと思います。