人間関係の悩みを解消する6つのヒントー六度万行(実践編)

「1からわかる仏教講座」スタッフのkakoです。

前回、お釈迦様がたくさんの善を6つにまとめられた「六度万行」について、概要をご紹介しました。

前回の記事はこちら

今回はその「六度万行」の1つ1つを具体例を通して、みなさんと学びたいと思います。

諸善をまとめられた「六度万行」とは?

六度万行は以下の6つです。

  1. 布施
  2. 持戒
  3. 忍辱
  4. 精進
  5. 禅定
  6. 智慧

それぞれどんなことか見ていきましょう。

①布施(ふせ)

「布施」とは「広く施す」ということです。

布を広げるとひろーく広がりますね。だから「布」には「広い」という意味があります。

「施す」というのは「与える」ということで、布施は「広く与える」ということですね。

これは、現代の言葉でいえば「親切」ということです。

布施の逆は「慳貪(けんどん)」といわれ、「ケチ」という意味です。 出し惜しみしている人のことです。

布施というのは、「惜しみなく与える」という精神ですので、「ケチ」というのはまさにその反対になりますね。

「与える」と聞くと、お金や物を相手に与えることだけが布施のように思いますが、笑顔や優しい言葉をかけることも布施になります

ちょっと目元の筋肉を動かし、わずか一言二言かけるだけで、人に幸福を与えることができるのに、それすらも出し惜しむのは、「ケチ」と言われてしまっても仕方ないですね。

②持戒(じかい) 

「持戒」とは、言行一致ということで、言うこととやることを一致させる、約束を守ることですね。

持戒の反対は「破戒」です。 約束を破ることです。

約束を破ると、信用を大きく落としてしまいますね。

世の中は信用でなりたっているので、信用の無い人には仕事はこないです。だから、みんな、信用をいかに築くかで必死になっています。

納期を守るために連日残業されている人も多いと思います。それだけ信用は重視されているのですね。

では信用を落とさないためには、どうしたら良いのでしょうか。

まず、できない約束は始めからしないようにしましょう

でも、どんなに約束を破らないように気を張っている人でも、不測の事態で約束を守れなかったということもあると思います。そんなときは誠心誠意謝罪して、信用回復のために自分ができることを精一杯したいですね。

不祥事を起こしたときの責任の取り方が、非常に大事だと思います。不祥事おこした時の対応が良かっために信用を回復したということもありますね。

約束は必ず守るよう心がけるとともに、やむを得ず約束を守れないときは、その後の身の振り方にも気をつけていきたいです。

③忍辱(にんにく) 

「忍辱」とは、忍耐のことです。

苦しい時や思うようにならない時でも、腹を立てずに投げやりにならずに逃げ出さずに、じっと忍耐するのが素晴らしい善だといわれます。

忍辱の反対は「瞋恚(しんに)」です。瞋も怒り、恚も怒りという字です。

生活していると、イライラしたり、ムカついたりすることは、いくらでもあると思います。

しかしアドラー心理学で有名なアドラーは、

怒りは人と人とを引き離す感情である 

と言っています。怒りを怒りで買うと収拾がつかなくなり、修復不可能な関係にさえ陥ってしまいます。

怒りを出さずにじっと耐えることが、良好な人間関係を築く上で大切ですね。

しかし相手は言いたいことを言っているのに、自分だけ我慢すると、自分が負けたように感じるという方は多いと思います。

ところがお釈迦様は、負けている人どころか、その人は「勝利者」だと、次ように言われています。

愚かな者は、悪口を言って自分が勝ったと思う。

しかし真の勝利は、よく忍耐することである。

怒りに対して怒りを返さない者は、二つの勝利を得る。

自己に打ち勝ち、他にも勝つ者なのだ

「忍耐した人こそ勝利を得る」と心得て、忍耐を実行していきたいですね。

④精進(しょうじん) 

「精進」とは「努力すること」を言います。

精進料理を思い浮かべて、精進=野菜と思われている方がよくありますが、野菜のことではなく、肉を食べていても一生懸命努力していれば精進です。

精進の逆は「懈怠(けたい)」、怠けることです。

生まれつき努力が好きな人はいないと思います。耳が痛いですが、こう言われたりします。

「われわれにとって怠惰ほど有害で致命的な習慣はない。

にもかかわらず、これほど身につきやすく、断ちがたい習慣もない。」

( ジョン・トッド著「自分を鍛える!」より引用)

では、いったい勤勉な人と懈怠な人、違いはどこにあるのでしょうか?

一つは環境の違いがあります。

一緒にいる人、いる場所によって気持ちが大きく変わることを実感されている方も多い思います。

「ライブラリーエフェクト」という言葉がありますが、これは、自宅ではなく図書館に行って勉強することで、勉強がはかどる効果のことです。良い環境に身を置いておくことが大切ですね。

二つには、うまく欲を使っていることです。

人間には褒められたいという欲(名誉欲)があるので、それをうまく使って怠けずに頑張る人もいます。

⑤禅定(ぜんじょう)

「禅定」とは「反省すること」です。

「禅定」と聞くと、座って瞑想する「座禅」が思い浮かびますが、ただ山にこもって、木や石に囲まれて精神統一することが禅定ではありません。

こんな話があります。

ブッダ在世中に、ヴィマラキールティ(維摩)という富豪がいました。

俗人でありながら仏教の洞察が深く、ブッダの高弟を幾度も、やり込めています。

ある日、仏弟子の中で智慧第一のサーリプッタ(舎利弗)が、静寂な林で座禅をしていると、ヴィマラキールティの姿が目に入りました。

また何か嫌みを言うのではなかろうかと、見ぬふりをしていると案の定、近寄って意地悪な質問をします。

「サーリプッタさん、そこで何していられるのかな」

見れば分かることを、わざと聞くので面白くありません。

「座禅しているのだが……」

無愛想に答えると、散乱しているサーリプッタの心を見抜いたヴィマラキールティは、こう一喝しました。

「なに座禅、それが座禅とな。もし体を動かさないのが座禅なら、

山の樹木も立派に座禅していることになる」

かくて座禅の本旨をじゅんじゅんと説くと、サーリプッタは言葉に窮し、何の返答もできなかったといいます。

形にとらわれるのでは無くて、自分は正しいことを思って、正しい考えに基づいて行動しているだろうか?自分の言動を心静かに振り返る「反省」を、勧められているのですね。

禅定の反対は「散乱」です。

散り乱れた心のままでは、他人や環境のせいにして、自己の言動を振り返ることはできません

心静かに、自己の言動を振り返る時間を取っていきたいですね。

⑥智慧(ちえ)

「智慧」とは「修養」のことです。

身の修養に努めるといわれますが、修養とは人格を磨いていくことですね。

ではどうすれば人格を高めていくことができるのか。それは、前の5つの善を実行することで人格を高められます。

ですので修養というのは前の5つの善をまとめたものですね。

智慧の反対は「愚痴」です。うらみ・ねたみ・そねみの心のことを言います。

愚も、痴も、愚かでバカという意味ですが、なぜ「うらみ」や「嫉妬」の心を「愚かでバカ」と言われるのでしょうか。

一言でいうと・・

自業自得の真理(すべての結果は自分の行いによるもの)がわからないからです。

たとえば、不幸は自らが招いた結果であるのに、それを他人のせいにして恨んでいれば、それは「愚か」と言われても仕方ありませんね。

また、他人の善果はその人が努力した結果であるので、それを嫉妬しているのも賢明とはいえません。うらみ・ねたみ・そねみの心、これ自体が悪い行いなので、その結果また、自分が苦しむことになってしまいます

「愚痴」の心のままではとても人格を高められるような行為はできませんので、何事も自業自得、と心得ていきたいですね。

どれか一つ実践してみましょう。そうすればすべてを実行したことになります

これら、六度万行を実行していくと、必ず対人関係などの悩み、苦しみを解消して、幸せな明るい人生につながるんですよ、と教えられています。

実際、みなさんはどうでしょうか。

いつもムスッとしていて挨拶もしない、約束はいつも破るし、何かあるといつも人のせいにして怒っている。そのくせ自分は全然努力しない、反省もしない・・

こんな人と仲良くなりたいと思いますか?

思いませんよね。

これらをやっていると、対人関係のトラブルが起きます。嫌われ、信用を失い、人が離れていってしまいます。

これらはやめて、逆をいきたいですね!

最後に、六度万行のいいところは、1つやるとあとの5つ全部やったことになる、ということです。

だから、自分の心に合うものをどれか一つやりましょう!と勧められています。

心がけて、幸せな人間関係を築いていきたいですね。