七千冊以上の経典で説かれたことをひと言であらわされた「法鏡」とは?

お経は、お釈迦さまが当時の人々に説かれた教えを弟子たちが書き残したものであり、いわば講演会の記録のようなものです。

だから、お経は生きている私たちのために書き残されたものであり、私たちが聞くべき大事なことが教えられているのですが、今日はなぜかお経が死んだ人に読まれています。

これは大変な誤解です。亡くなられた方にお経が読まれても、自業自得が仏教の鉄則であり、その方の行き先はまったく変わらないのです。

亡くなられた方をご縁として、そこに集まった参列者にお経にどんなことが書かれているのかを伝えてこそ意味があるのですが、それがなされていないのならば大きな機会損失です。

なので、このサイトではお経に書かれていて、生きている私たちにとって大事なことを解説しています。

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七千冊以上の経典で説かれたことをひと言でいうと…

では、お経にはどんなことが書かれているのでしょうか。

仏教は一切経という七千冊以上の膨大な経典として今日残されています。仏教に説かれていることを正しく知るには七千冊以上のお経を全部読まないといけないのですが、一日一冊読んだとして二十年近くかかってしまいます。そんな時間を捻出するのはあまりに難しいですね。

「お釈迦さまはどんなことを教えられたのか、ひと言で知りたい」

それが私たちの望みですが、とてもひと言では聞けそうにないですよね。

ところが、お釈迦さまがお亡くなりになる直前、お弟子の一人が聞いたのです。「お釈迦さまが教えられたことをひと言でいってください」と。

無茶な要求に思いますし、「そんなことを聞いて大丈夫なのかな?」とも思いますが、私たちの思いを代弁されたのです。

それに対し、お釈迦さまはまさにひと言で答えられました。

「汝らに『法鏡』を授けるであろう」

仏教とは法鏡である、と言い切られているのですね。これはすごい断言です。

何せ、法鏡とは何かがわかれば七千冊以上のお経をすべて読んで理解したことと同じになるのですから、何としてでも法鏡とはどんなことなのか知りたいですね。

法鏡とは、人間の真実の姿を映して見せてくれるもの

法鏡の「法」とは、元はサンスクリット語のダーマ(あるいはダルマ)のことです。意味は「古今東西変わらないもの」ということです。いつの時代も、どこへ行っても変わらないもの、普遍的な真理のことをいわれます。いわば、「真実」のことです。

今日では真実というと、いくつもあるものとして使われています。「この事件の真実は…」「事件の真実は闇の中」など。しかし、このように「あれも真実、これも真実」なのではなく、真実はというものは元々一つしかないのです。そして、そのただ一つの真実が説かれているのが仏教といわれます。

鏡は、私たちの姿を映して見せてくれるものですよね。だから法鏡とは、私たちの真実の姿、私たちのただ一つの姿を映して見せて下さるものをいうのです。

仏教が法鏡といわれるのは、仏教には私たち人間がどんな姿をしているのか、私たちのありのままの姿がハッキリと教えられているからです。ちょうど鏡に近付いていくと、遠くで眺めていたときにはわからなかった自分の姿が少しずつ見えてくるように、仏教を正しく聞いていくと、今まではわからなかった自分の姿が知らされていくのです。

仏教を学んでいくとわかることは自分の本当の姿である-これは多くの仏教の僧侶が語っていることです。

中でも有名なのは禅宗の開祖である道元です。道元は主著『正法眼蔵』で以下のように書いています。

仏道をならふというは、自己をならふなり

仏道(お釈迦さまの説かれた教え)を習うのは、自己を習う、自分のことを知るということだと語っているのですね。

また平安時代に活躍し、有名な『往生要集』を書かれた高僧・源信(恵心僧都)は

よもすがら 仏の道に 入りぬれば 我が心にぞ たずね入りぬる

と詠っています。よもすがら、というのは夜通し、ということです。夜通し、仏教の勉強をされて見えてきたのは、「我が心」自分の心の姿であった、と言われているのですね。

このように、仏教を学んで知らされることは私の本当の姿、とりわけ私の心の真実が知らされていくのです。

ですから、何十年と仏教を聞いているとか、仏教の本を何十冊と読んでいると言われても、自分の本当の姿が少しも知らされていなければ、それは仏教を知ったことにはならないのです。

それはちょうど、鏡の前に目をつむって座っているような状態なのですね。目をつむって座っていては何も見えてきません。それでも時間があまりにもったいないですから、自分の姿が教えられている正しい仏教を聞かねばなりませんね。

それでは、法鏡に映し出された本当の私はどんな姿をしているのか、心の真実とはいかなるものなのかを次回、お話していきます。

また講座では一度の講義で仏教で明らかにされている私の本当の姿を解説していますので、講座にもぜひ足を運んでいただければと思います。

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