お経は死者に読むものではない? 仏教で明らかにされた私たちに大事なこと

仏教とは、「仏の説かれた教え」ということです。

仏とは、今から2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまのことすね。お釈迦さまが35歳で仏の覚りをひらかれてから、80歳で亡くなられるまでの45年間、仏として説かれた教えが仏教なのですね。

2600年前も前に説かれた教えを今日の私たちが知ることができるのは、お経として書き残されているからです。

では、そのお経は全部でどれくらいあるか、ご存知でしょうか?

その数はなんと7千余巻あるといわれます。お経は巻物として書き残されたので、○巻と数えられるのですが、今の感覚でいうと7千冊以上ということになりますね。

その7千冊以上あるお経に教えられていることとは、どんなことなのでしょうか。2600年通して伝えられてきたきたものですから、どうでもいいことは一つもなく、私たちにとって大事なことが教えられているのです。

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仏教は死んだ人でなく、生きている人のために説かれたもの

お経というのはお釈迦さまの説法の記録です。説法とは説教ともいい、教えを説かれるということですね。お釈迦さまの説かれたことを弟子たちが書き残したものですね。

それは、お経は必ず「如是我聞(にょぜがもん)」あるいは「我聞如是」から始まることからもわかります。これは「かくの如く我聞く(私はこのように聞かせていただきました)」ということであり、お弟子が聞いたことを書き残したというのがわかりますね。

お釈迦さまが亡くなられた後、五百羅漢といわれる500人のお釈迦さまの弟子たちが集まり、お経の編集が行われました。これを「仏典結集」といいます。

これでお分かりのように、仏教は生きている人に説かれたのであり、お経は後世の私たちがお釈迦さまの説かれたことを伝えられるために残されたのですね。

しかし、今日、お経は誰のために読まれているでしょうか?

なぜか、葬式や法事のときのみ読まれ、しかも亡くなった人のためにお経が読まれているのです。

それは、亡くなった方が少しでもいいところへ行かれるようにと読まれているのですが、いくらお経を読んでも、それは生きている私たちに説かれたものですので、亡くなった方がいいところへ行くことはできないのです。

運命のすべては自分の行いによって決まる 一貫して説かれる“自業自得”

仏教では一貫して“自業自得”、あるいは“自因自果”と説かれています。

自業自得は、自分の業(行い)によって自分の運命を得る、ということです。自分にやってくる運命のすべては自分の行いによって決まるのですね。

自業自得という言葉は今日でも使われていますね。

「スピードの出し過ぎで警察に捕まったのは君の自業自得だ」
「仕事でトラブルを招いたのは君の不注意が原因だ。自業自得だよ」などと使われたりします。

しかし、自分にやってくる運命はすべて自分の行いによるので、悪い運命だけでなく、善い運命もまた自業自得なのですね。私たちがそう聞くと違和感を抱きますが、仏教本来の意味は悪い運命も善い運命もすべて自業自得なのです。

自因自果も自業自得と同じ意味です。因とは行い、果は運命のことであり、自分の因(行い)によって自分の果(運命)が生み出される、ということですね。

一貫して自業自得、自因自果であるので、他因自果(他人の行為によって自分の運命が決まる)ということは絶対に有り得ないと仏教では説かれます。

だから、亡くなって生きているときにやった行いの結果を受けている人に対し、いくらお経を読んだところでその人の結果を変えることは毛頭できないのです。自らの業は自分で果たさなければならない。まして、お経は生きている人に読まれたのですから、亡くなった人の運命を変える力などありません。

お経に説かれている、生きている私たちに大事なこととは

では、生きている私たちに説かれた仏教にはどんなことが教えられているのでしょうか?

それを知るには7千冊以上のお経をすべて読まねばなりません。たとえ半分読んでも、残り半分にこれまで読んだことをひっくり返すようなことが説かれているかもしれず、それがお釈迦さまの本心かもしれないからです。

しかし、今日難しいことが書かれている本を「まるでお経のようだ」といわれるほど、お経は難しいものの代名詞になっていますよね。実際、漢字ばかりで書かれていて、難解な仏教の専門用語もたくさんありますから、一から読んで正確に理解するのは時間的にも内容的にも大変です。

実は、仏教はいったいどんなことが説かれているのかを「ひと言でいってください」とお釈迦さまにたずねた弟子がありました。

「お前は今まで何を聞いてきたのか!」とお釈迦さまに怒鳴られかねませんが、勇気のあるお弟子がいたのですね。忙しくて早く答えを知りたい現代人を代表して質問してくれたと思わずにおれません。ありがたいです。

それに対しお釈迦さまは怒鳴られることなく、まさにひと言で教えられてました。

「汝らに法鏡を授けるであろう」とおっしゃったのです。

お釈迦さまが法鏡とはいったい何なのでしょうか。それについて知ることが仏教を知ることになるのですね。

法鏡について次回以降、続けてお話していきたいと思います。

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