死後の世界はあるのか、無いのか? 死んだらどうなるかわからない“後生暗い心”について

前回は、私たちは煩悩の塊であり、煩悩を断ち切って本当の幸福になることはできないこと、
私たちは煩悩あるがままで本当の幸せになれることを説かれたのが仏教であることをお話ししました。

前回の記事はこちら
煩悩があるままで幸せになれる?-仏教の煩悩即菩提と幸福論

では、どうすれば私たちは煩悩があるがままで、本当の幸福になれるのでしょうか?

それは無明の闇という、私たちの暗い心が破られてこそ本当の幸せになれた、ということがあります。

無明の闇とはいわば、私たちの心の病のことです。熱病にかかると、どんなご馳走を用意されても美味しく食べられないように、私たちはこの心の病のためにどんなにお金やものを手に入れても心からの幸せになることはできないのだ、と教えられています。

無明の闇が破られることで、煩悩即菩提の境地に立てるのです。

それでは、その無明の闇という暗い心とはどんな心なのでしょうか?

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無明の闇とは“後生暗い心”

無明の闇とは私たちの暗い心のことを言われますが、ここで「暗い」とは電気が消えたときのような暗さではなく、「ハッキリしない」ことを言います。

たとえば、パソコンに詳しくない人は「パソコンに暗い」と言われますし、上京したばかりで都内に何があるかわかっていない人は「東京の地理に暗い」などと言われるのですね。

では、無明の闇とは何に暗い心なのでしょうか?

それは“後生暗い心”です。

後生とは、私たちが死んだ後のことです。

死んだ後はあるのか、無いのか。あるとすればどんな世界にいけるのか、ハッキリされている方はいるでしょうか。

この、行き先が全然ハッキリしていない心のことを後生暗い心と言われ、生きている人が共通して持っている心なのですね。

死んだ後は何も無くなる、という考え方は「唯物論」といいます。私たちは物質であり、肉体が無くなれば何も無くなる、ということですね。

また今日では、私たちは脳であるという「唯脳論」を信じておられる方が多いでしょう。

対して、目に見えない心こそ私の正体であると考えるのを「唯心論」と言われます。

果たして、私たちは脳なのか、それとも脳以外に私をコントロールしているものがあるのでしょうか。

私という存在は何なのか 物質?脳?それとも心?

今はちょうど大村智 北里大学特別栄誉教授がノーベル医学・生理学賞を受賞されたことがニュースや新聞で大いに取り上げられています。1963年にそのノーベル医学・生理学賞を受賞された人にジョン・C・エックルスがいます。

エックルスはオーストラリアの神経生理学者で、人間の脳について研究を重ねていました。はじめ、エックルスは人間=脳だと思い、それを証明しようと研究をしていたのですが、後に著書『自我と脳』の中で「精神(心)が脳をコントロールしている」という二元論を唱えました。物質世界とは別に精神世界が存在する、脳と私という存在は別物である、という主張ですね。

また、「生きた人間の脳に最も多く触った」といわれるのが、脳神経外科医のワイルダー・グレイヴス・ペンフィールドです。

このペンフィールド博士もはじめは唯脳論派でしたが、研究を進めるにつれて脳を動かしているのは心であるという結論に達した、と著書『脳と心の正体』に書かれています。

最近でもアメリカの神経科学者であり精神科医のナンシー・C・アンドレアセンは「脳が私という考えは10年前の考え」と唯脳論を否定し、脳と私という存在は別であると提唱されています。

脳神経外科医の世界的権威であるエベン・アレクサンダーはかつては唯脳論者であり、死後の世界を真っ向から否定してきました。しかし、多くの患者の臨死体験を聞き、また自身も臨死体験をしたことから考えを変えられました。今では、死後の世界のあることを科学的に証明する方法を模索されているそうです。

驚くべきことは、エベン医師が臨死体験をした時に彼の脳は止まっていた、ということです。ということは、私というものの存在は脳以外のところにある、ということですね。

そして、23万部のベストセラー『死後の世界』の著者であり、東大医学部教授・矢作直樹氏は多くの患者と接し「寿命が来れば肉体は朽ち果てるが、霊魂は生き続ける。その意味で、人は死なない」という考えを持たれるようになったそうです。

このように、私という存在は肉体や脳ではなく別にある、いう考えを持たれている医師・脳科学者の方が多くなってきているのですね。

仏教で説かれる意識よりも深い心

ところが、2600年前に説かれた仏教ではすでに「阿頼耶識(あらやしき)」という意識よりもずっと深い心があることを明らかにされています。阿頼耶識が私の存在そのものなのであり、それは寿命が尽き肉体が滅んだしてもずっと続いていく心のなのです。

ですから仏教では死後の世界のあることが説かれているのです。

しかし、死後の世界とはどんな世界なのかは人間の智恵ではまったくわかりません。その死後に暗い心が無明の闇なのですね。

死は私たちの100%確実な未来です。だれも死を免れることはできないのですが、その行き先がわかっていないのが私たちの実態です。この100%確実な行き先がハッキリしていないからこそ私たちには心からの安心・満足がないのだと教えられています。

行き先がわからないことと、私たちが幸せになれないことにどんな関係があるのか。

それについて次回、詳しく書いていきたいと思います。また講座でも詳しくお話されていますので講座にもぜひご参加いただければと思います。

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