やらない偽善より「やる偽善」 お釈迦さまの説く“親切するときの心がけ”とは
前回は、仏教を説かれたお釈迦さまが「人間は生まれてから死ぬまで、一つの善もしたことがない」と断言なされている理由についてお話ししました。
前回の記事はこちら
親切をしたのに腹が立つ! お釈迦さまが「一つの善もしたことがない」と断言された理由とは?
お釈迦さまが「一つの善もしたことがない」と言われている善とは「真実の善」のことです。
対して人間のする善は「雑毒の善」と言われています。毒の雑じっている善なのです。
毒とは「見返りを求める心」「恩着せ心」のことです。善いこと、親切をすると、どうしても「お礼を言ってほしい」という気持ちが出てきます。そのときにお礼を言われないと「お礼も言ってくれないの!」「こんなことなら善いことなんてするんじゃなかった」という思いさえ出てきてしまいます。
毒が体内に入るとその毒で苦しむように、「恩着せ心」で私たちは苦しむのです。
そう聞くと「毒の雑じった善ならやらないほうがいいのでは?」と思われるかもしれません。しかし、毒が雑じっているといっても、それはあくまで善であり、やれば必ず善い結果となって返ってくるのです。
やらない偽善より、やる偽善
俳優でありシンガーソングライターの泉谷しげるさんは、阪神大震災が発生した直後に新宿駅東口でチャリティーのゲリラライブを行いました。
その迅速な行動にマスコミは「売名行為ではないか!」とツッコミを入れます。
対して泉谷さんは
てめえら、募金しろバカヤロー!
売名?そーだよ!俺はよ売名行為でやってんだ!
有名じゃなきゃ金は集まらんだろバカヤロー!
売名だ!1日1偽善だバカヤロー!
と啖呵を切ったのです。
さらに東日本大震災の発生直後にもニコニコ生放送の特別番組「泉谷しげるのチャリティトーク&ライブ ~日本を救え!~」を行ったのです。そのときもtwitterで「売名行為だ」と批判を浴びたのですが、それへも、こう吠えていきます。
1日1偽善、売名行為のためにやってきました。こんなときに不謹慎だとか、音楽を聴いている場合じゃないとか、そういうことは出てくるだろうけど、そんなヤツは聴くな!観たくないヤツはスイッチを消せ!オレたち昭和の男は放射能育ちだからな!日本はもともと地震国なんだから、自信を持ってくれよ。
売名行為や偽善と言われようと、その行為自体は善いことです。チャリティーで集まったお金を寄付すれば、寄付によって救われる命が多くあるのであり、素晴らしいことです。「売名だ、偽善だ」と言って募金をしなければ、一人の命も助けることはできません。
しかも親切すれば、多くの人を喜ばせられるだけでなく、親切をしたその人自身に必ず善い結果が返ってくるのです。人の批判ばかりでは誰も喜ばせることはできず、批判する人自身も幸せになることは絶対にありません。親切は大いに実践すべきであり、お釈迦さまが善を説かれたのも、実践させるためなのです。
親切をするときの、あるべき心がけとは
しかし、私たちが親切をしたときの「恩着せ心」がなくなることはなく、せっかく親切しても心がけを間違えると腹が立ち、苦しむことになります。
では親切をするときはどういうことに心がければいいのでしょうか?
お釈迦さまは、他人に親切したとき
- 私が
- 誰々に
- 何々を
を、この3つを忘れるようにしよう、教えられているのです。
これを三輪空寂(さんりんくうじゃく)と言います。
人間が善いことをすれば、
「これはオレがやった善だ」
「あなたのためにやった善だ」
「これだけの時間をかけて、これだけの苦労をしてやった善だ」
という執着が残ります。その執着によって私たちは苦しむから、それらを空じる(忘れる)しようと説かれるのですね。
私たちが自分のしたことを覚えていようが忘れていようが、やった親切・善に対する結果は必ず返ってきます。むしろ、覚えているままだと「まだ自分がした親切への結果が返ってきてないじゃないか」と不満の心が出てきて苦しむことになるのです。
三輪空寂を心がけ、親切の実践していきましょう。善いことを実行することで善果に間違いなく恵まれ、また真実の善のでき難い自己の姿も知らされていくのです。