仏教で説かれる人間の8つの心理-八識とは②「無意識より深い”阿頼耶識(あらやしき)”」
「1からわかる仏教講座」スタッフのminamiです。
前回に続き、人間の心理を8つに分けられた「八識(はっしき)」をご紹介します。
前回の記事はこちら
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心理学者・フロイトが提唱した無意識の存在「意識は氷山の一角」
仏教を説かれたお釈迦様(ブッダ)は、人間の心理をとても詳しく説かれました。
それは、人工知能の父と呼ばれ、数々の心理学や宗教を学んだマービン・ミンスキー氏が「釈迦は偉大な心理学者だ」と絶賛するほどです。
ではお釈迦様は人間の心理をどう教えられているかというと、大きく8つに分け「八識(はっしき)」と説かれています。
八識は以下の8つです。
- 眼識(げんしき)
- 耳識(にしき)
- 鼻識(びしき)
- 舌識(ぜっしき)
- 身識(しんしき)
- 意識
- 末那識(まなしき)
- 阿頼耶識(あらやしき)
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の5つを「前五識(ぜんごしき)」といい、前回の記事で詳しく紹介しました。
次の意識は、その前五識を統括している心であり、私たちが普段生活をしていてわかるのはここまでです。
しかし仏教では、この意識よりも深い心-「末那識」、そして「阿頼耶識」-があるといわれています。
意識よりも深い心-「無意識」の存在は、精神分析学で有名な心理学者・フロイトによって提唱されました。
その無意識はとても深い心であり、フロイトは
心とは氷山のようなものである。
氷山は、その大きさの7分の1を海面の上に出して漂う。
と、心を氷山にたとえて語っています。
氷山で海面の上に出ている部分は全体の大きさのわずか7分の1であり、ほとんどが沈んでいて見えません。
人間の心も、意識は氷山の一角に過ぎず、その下にはさらなる深い心がある、とフロイトは推察しているのですね。
このフロイトの無意識の提唱は20世紀の大発見といわれていますが、実は仏教では2600年前に、意識より深い心の存在が教えられていたのです。
それが「末那識」と「阿頼耶識」ですね。
無意識より深い心「阿頼耶識」
「末那識」は執着する心をいいます。
「あれは自分のものだ。誰にも渡さない」と私たちには物や人への執着があり、なくなりません。
「死にたくない」という思いも、この世の中に対する執着です。
そして「阿頼耶識」は、仏教で説かれる最も深い心であり、永遠の生命といわれています。
「阿頼耶」はサンスクリット語の「アラヤ」に漢字をあてたもので、本来の意味は「蔵」です。
蔵というのは、最近だと馴染みがないと思いますが、大切なものを保管しておくところですね。
そんな蔵のような心が阿頼耶識ですので、「蔵識」ともいわれたりします。
「阿頼耶識」に蓄えられるものとは
ではその蔵のような中の心に何が保管されているのかというと、それは「カルマ」です。
「カルマ」は「業(ごう)」と訳され、意味は「行為」です。
仏教では、私たちの行為は「カルマ」となって阿頼耶識に蓄えられる、と教えられています。
カルマが蓄えられた状況と似たような状況になると、そのカルマは私たちに特定の行為をさせるのです。
わかりやすい例えでいうと、食後にいつも「別腹」といって甘いケーキを食べている人は、ダイエットを決意して食後のケーキをやめようと思っても、ケーキを見ると決意を曲げて、ついケーキに手を伸ばしてしまいます。
これはその人のカルマがケーキに手を伸ばさせた、といえますね。
では一度でも食後にケーキを食べた人は、永遠に食べ続けることになってしまうかというと、そうではありませんね。
カルマが蓄えられた状況と似た状況に身を置かなかればいいのです。
ケーキが近くになければ、もう食べることはありません(それでも業の強い人は、我慢できずに近くのお菓子屋さんやコンビニまで走って、ケーキを買ってしまうかもしれませんが)。
このカルマは行為を引き起こすまでは決して消えることはありません。
私たちの阿頼耶識には日々、無数のカルマがおさまり続けていますので、カルマは不滅であり、ゆえにそのカルマがおさまっている阿頼耶識も不滅、永遠の生命なのですね。
そんな現代の心理学よりもさらに深く人間の心が洞察されている仏教を、ぜひ講座も学んでいただければと思います。