【意業③】
■石川五右衛門といえば、言わずと知れた大泥棒ですが、
戦国の世に名を馳せた人です。
戦国武将の天守閣に忍び込んだり、
秀吉の命を狙ったり、と
そのスケールの大きさから、庶民のヒーローになりました。
イチローが活躍すれば、
あこがれた少年たちが野球を始めるように
当時、石川五右衛門にあこがれた少年たちが
泥棒になりたいと言い出しました。
そこで当時の役人は、
石川五右衛門を逮捕しなければ治安がよくならないと
大きな懸賞首をかけて、躍起になって逮捕しようとしたのです。
その甲斐あってついに五右衛門も逮捕されました。
この石川五右衛門だけは、ただの極刑では許されない。
見せしめのために、もう二度と泥棒になりたい、などと
あこがれる者が現われないようにと、
釜茹での刑に処せられることになりました。
今に残る五右衛門風呂は、ここに名前の由来があります。
その釜茹での刑で殺される石川五右衛門、
辞世で述べたとされるのが
『石川や 浜の真砂は 絶ゆるとも
世に盗人の 種はつきまじ』
という歌です。
■石川を川の名前として、
歌っているのですが、
「たとえ、石川の浜の砂が
全部無くなったとしても
世に盗人の種は尽きないのだ。」
という意味です。
この「盗人の種」とは、「盗人の心」のこと。
「誰も見ていなければ、
人の物であろうが、自分の物にしてしまおう」
という心のことです。
仏教では、心の行為を意業といい、
口や身体を動かす元だから、もっとも重要視されます。
「『誰も見ていない、
誰も知られない、
自分がやったとは知られない、
それならば、困る人がいようとかまわない、
オレが得するんだから盗ってしまえ』
この心が人にある限り、盗人はなくならないのだ、
俺を殺したくらいで、治安がよくなるなどと思うなよ。
全ての人間の心に盗人の心があるのだから、
人間が存在するところ、必ず、誰かが盗みを働くぞ。」
こう詠ったのですが、
五右衛門の予言どおり、どんな治安強化が図られても、
防犯上の技術が向上しても、
今日なお、新手の盗みはあとを絶えず、
盗人は絶えることはありません。
■親が子供を傷つける言葉を吐く、
あるいは子供が親を虐待する
夫が妻を裏切る
妻が夫をののしる…
これらのいたましい言動は
その人の心が招いたことであり、
その意業を正さない限り、今後もその言動は止むことはありません。