六度万行:智恵 -お釈迦さまの説かれた幸せになれる6つの道-
「愚痴っぽい人だ」
「それ、ただの愚痴だよ」
と今日、一般的に使われる『愚痴』とは本来仏教の言葉です。
108の煩悩の一つで、
「怨み」
「妬み」
「嫉み」
「憎しみ」
といった心を『愚痴』といいます。
『愚痴』の愚は「愚か」ということ。痴も、知恵が病にかかっている、ということで「愚か」ということです。
馬鹿な心であり、愚か極まりない心だ、と釈尊は言われているのです。
釈尊は1+1=2ができないとか、文字のタテヨコがわからないという人を「馬鹿」とはいわれません。
何か自分に辛いことが起きると、あいつのせいだと憎み、人の幸せを妬む。その心を「馬鹿」といわれるのです。
自業自得がわからないバカな心
それは『自業自得』という、あまりにも明らかなことがわからないからです。
全ては自分のまいた種なのに、自分のこととなるとさっぱりわからない。
そしてオレがこんな目にあったのは
親のせいだ!
子供のせいだ!
上司のせいだ!
部下のせいだ!
社会のせいだ!
と周りを恨む。
他の人の失敗は
「ほれ見ろやっぱりか。自業自得だよ」とわかる人でも、我が身に降りかかる失敗は、とたんに他人のせいにするのはおかしなものです。
我が身知らずもはなはだしい。
愚痴の心は、天に向かってつばを吐いているようなもので、全部それは我が身に戻ってきます。
恨みの心は恨んだ相手になんの影響を与えません。ワラ人形で夜中の2時に五寸釘打ち付けても、本人が寝不足で苦しむだけです。(恨まれたほうは快眠している(笑))
苦しい状況に立たされた時、他人を恨んだり、妬んだりして、さらに苦境に追い込まれていく人が如何に多いことか。。。
一切は自分の蒔いたもの、蒔かぬタネは生えぬと見つめ、一つ一つ誠心誠意、できることから着実に対応してゆけば、思わぬ道が開けてくるものです。
愚痴をこぼすな 汗こぼせ
このように「自業自得」を認め、己の行為を正そうとすることを釈尊は『智恵』といわれています。