人間に生まれてきて良かった、という生命の大歓喜とは

人間に生まれてきて良かった、という生命の大歓喜とは

 

バートランド・ラッセル(イギリスの哲学者)は『幸福論』で、

「道楽や趣味は、多くの場合、もしかしたら大半の場合、根本的な幸福の源ではなくて、現実からの逃避になっている」

と言っています。

 

「趣味に熱中する楽しみ」とは、苦痛を一時的に忘れる時間つぶしといえるかもしれません。飲んだ酒に酔っ払っている間だけ、借金を忘れて気持ちよくなっているのと似たようなものですね。

 

 

もちろん、人間には一時的な逃避だと分かっていても、気晴らしが必要です。気晴らしがなければ生きていけないとパスカルも言っています。

 

 

ただ、気晴らしを求め続けるだけの人生では寂しすぎます・・。

 

 

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太宰治は著書『斜陽』の中に、こんな言葉を残しています。

 

「ああ、人間の生活には、喜んだり怒ったり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めているだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待って暮らしているのではないでしょうか。

幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。

ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。

生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。

そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。

みじめすぎます。

生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。」

 

人間に生まれてきて良かった、という生命の大歓喜のあることをお釈迦様は生涯教えていかれました。

 

 

「人身受け難し今すでに受く」(華厳経)