お釈迦様の教えられた「業界(ごうかい)」②-仮面なしでは生きていけない人間
「1からわかる仏教講座」スタッフのminamiです。
前回は
「独生独死 独去独来(どくしょうどくし どっこどくらい)」
「業界(ごうかい)」
についてご紹介しました。
前回の記事はこちら
私たち人間は、生まれてから死ぬまでずっと独り、孤独であると、お釈迦様は教えられています。
それは、私たちはそれぞれの業(カルマ)によって生み出された世界(業界)に住んでいて、常に別の見方をしている。
共感できる部分もありますが、「これだけはとても言えない」というものをもっていて、心の底からわかり合える魂の連れがいないから、とお話ししました。
ではそんな孤独な人間が幸せに生きていくにはどうすればいいのでしょうか?
※記事の内容が動画でも紹介されています
孤独は山になく、街にある
仮に周りにたくさんの人がいても、もし私をわかってくれる人がいなければ「こんなにたくさんの人がいるのに、どうしてみんなわかってくれないの?」と、逆に孤独感が増してしまうでしょう。
日本を代表する哲学者・三木清は
孤独は山になく、街にある
と語っています。
街の中にて、誰もわかってくれないと味わうことほどの孤独はないのですね。
一昔前のヒット曲に「東京砂漠」というのがあります。日本で最も人口が多いはずの東京が、人が誰もいないような砂漠とは、どういうことなのか?
これも自分を心から理解してくれる人がいないことを例えているのですね。
承認欲求が強く、仮面なしでは生きていけない人間
私たちは承認欲求が強く、人からどう見られるかを気にし、人から悪く見られることを嫌いますね。
自分の本性、すっぴんの自分をさらして、それを受け入れられなかったならとても苦しいので、人から好かれる自分を演じています。
身も心も着飾って、言葉にも並々ならぬ気を遣って生きています。
人間を意味する「パーソン(person)」の語源は、ラテン語の「ペルソナ」といわれています。ペルソナは「仮面」という意味です。
人間は仮面をかぶっているもの、仮面なしでは生きてはいけないことからパーソンの語源となっていると思われます。
実際にこれは会社用の仮面、これは恋人用の仮面、これは友達用の仮面、と、接する人の好みに合うように仮面をかぶり分けているのですね。
この仮面のかぶり分けに疲れている人、自分を偽ることに嫌になっている人、自分の素顔を見られることを恐れている人など、さまざまでしょう。
その中で言えることは、素顔の自分をさらして、弱い自分をさらけ出して、それでもなお受け入れてくれる人がいたならば、それ以上の幸せ、嬉しさはないということですね。
私たちは自分のすべてを受け入れてくれる人を探し求めているのです。
秘密の蔵のような心「阿頼耶識」とは
仏教では、私たちには自分でもわからない「秘密の蔵のような心」があると教えています。
それは「阿頼耶識(あらやしき)」といわれ、私たちの本心であるといわれるのです。
この蔵のような心は誰にもわからず、理解もされない心です。
この心が他人にも理解されず、自分でもわかっていないから、私たちは孤独で苦しんでいるのですね。
仏教を聞いていくことで、私たちのこの本心が明らかになります。本心が明らかになったとき、「私のすべてを受け入れてもらえた」という幸せが溢れるのです。
そんな幸せになれる道を教えられている仏教をぜひ学んでいただければと思います。
阿頼耶識について詳しく知りたい方はこちら
「わかり合えない」と知ってこそ認め合える
今までの話を聞かれて、「決してわかり合えないのが人間同士なら、これからどうやって接していけばいいの?」と疑問に思われた方もいるでしょう。
「わかり合えない」と知ることは、自我を押し付けず、お互いを認め合うことにつながります。
「わかり合える」という前提があると、「どうしてわかってくれないの?」という思いばかりが強くなり、わかってくれない相手に腹が立ちますし、わかって当然とさえ思ってしまうのです。
しかし「わかり合えない」と知れば、自分も相手のことをすべて理解することができないと気づけば、わかってくれないとイライラすることもなくなるでしょうし、「少しでもわかってもらえるにはどうすればいいのか」と努力するでしょう。
そして、自分の思いが相手に通じたならばその嬉しさは倍増しますし、相手が自分の思いに共感してくれた、歩み寄ってくれたことへの感謝も生まれるのですね。
それぞれが「わかり合えない」と思えれば、お互いを尊重し歩み寄って、良好な人間関係が構築されていくでしょう。