「天上天下 唯我独尊」の本当の意味とは?“生きる意味”がここにあった
「1からわかる仏教講座」スタッフのkakoです。
前回は、仏教を説かれたお釈迦様が、私たち人間を“旅人”にたとえられたのはなぜか、ご紹介しました。
それは旅人には必ず「目的地」があるように、どんな人も「生きる目的」があるからでしたね。
前回の記事はこちら
その「生きる目的」を知ることはとても大切で、生きる目的がわからないと、やがて生き甲斐や小目標を失ったとき、生きる意味を見出だせず、生きる気力も失ってしまうからです。
では果たして、仏教では「生きる目的」をどう教えているのでしょうか?
「天上天下 唯我独尊」の本当の意味
「生きる意味、目的」を教えられたのが
天上天下 唯我独尊
という有名なお言葉です。
この言葉は、お釈迦様がルンビニー園という花園で生まれたときのエピソードに由来しています。
お釈迦様が生まれた直後に東西南北に7歩ずつ歩かれ、天と地を指差し、この言葉をおっしゃったと伝えられています。
これを聞いて、「生まれてすぐ歩かれたなんて、本当なのか?」と思われる人もいるでしょう。
お釈迦様は、三大聖人・二大聖人といってもトップにあげられる偉大な方でしたから、伝説化している部分もあると思います。
生まれてすぐ歩いた、というのも語り継がっれるうちに色々と尾ひれがついた結果かもしれません。
しかし「天上天下 唯我独尊」のお言葉自体は大切なことを表されているのです。
この言葉はこれまで見聞きしたことがある方も多いでしょう。
たとえば、
特攻服にキラキラな糸で刺繍してあったり、あるいはラーメン屋の名前になったりしています。
また慣用句にもなっています。
人の意見や忠告があっても自分の意見が正しいと思って貫き通そうとする人を「あの人は、唯我独尊な人だ」と言ったりしますね。
このように「自分一人が一番偉い、正しい」という意味で使われているのですが、お釈迦様は「この世で一番偉くて尊いのはただ私一人である」と威張られたのではありません。
「我」=「人間」という意味ですから、
我々人間にしか果たすことのできない、たった1つの尊い使命がある
と、私たちには「生きる意味」があることを指し示した言葉なのです。
尊いとは、「大切な」とか「崇高な」ということです。
大切で崇高な使命がどんな人にもあるから、その使命を果たすための人命は平等に尊く、人命は地球より重いのですよ、と仏教で教えられているのです。
なぜ命が尊いかを絶命できた哲学者を知らない
生きる意味は何なのか、この問への答えは哲学の分野でずっと昔から考えられてきました。
しかし西洋哲学の分野では未だに答えの出ていない、難しい問いなのです。
ドイツの哲学者・ニーチェは
人生そのものには、何の意味もない。
それは、醜悪で、不気味で、誤謬で、虚偽で、無である。
と語っています。
このニーチェの驚くような断言に反論できる哲学者はいるのでしょうか。
カリフォルニア大学教授 フィリッパ・フットは
なぜ命が尊いか説明できた哲学者を知らない。
と論文に書いています。
私たち人間にとって最も大事な問いでありながら、ハッキリとした答えを出した哲学者はいないのですね。
しかし仏教では2600年も前に、「天上天下 唯我独尊」と、人間1人1人に共通した大切な使命があることを、ゆえに例外なく人命は尊いことを断言されているのです。
ではその大切な使命とは、何なのでしょうか。
それを知る上で欠かせないのが「無常を観つめる」こと、「無常観」を持つことです。