なぜこんなに心が空虚なのか?「四門出遊」からわかる、虚しさの原因と解消のヒント
「1からわかる仏教講座」スタッフの minami です。
前回は、私たちの感じる「むなしさ」には3段階あることを紹介しました。
前回の記事はこちら
その「むなしさ」の3段階とは、
- 手持ち無沙汰のむなしさ
- パーティー後のむなしさ
- 人間存在そのもののむなしさ
でした。
この中で、人間存在そのものをむなしさがすべてのむなしさの根底にあり、この解消こそ大事です。
ではこのむなしさを解消するにはどうすればいいのでしょうか?
そのヒントを、仏教を説かれたお釈迦様の有名なエピソードから学んでみましょう。
お釈迦様が出家を決意された「四門出遊」
そのエピソードは「四門出遊(しもんしゅつゆう)」という、お釈迦様が出家の決意をしたきっかけとなった出来事です。
お釈迦様がまだ太子であったとき、住んでいた城には東西南北にそれぞれ門がありました。
はじめに東の門から郊外へ出かけようとされたとき、老人を見かけました。
私たちが老人を見ても、特に何とも思いません。ところが太子は大変驚きました。
それは太子が老人を初めてみらからだったのです。
太子の住んでいた城には王の計らいにより老いを感じさせるものは一切置かれていませんでした。
太子は側近にたずねました。「私もあの者のようになっていくのか?」
「はい。健康で優れた身体を持たれる大使様といえども、年を重ねればあの老人のように肉体は衰えてしまうのです」
太子は老いの苦しみを目の当たりにして衝撃を受けたのでした。
次に、南の門から出られたときに病人を見かけました。
病人も太子の住む城にはいなかったので、老人のときと同様に大きな衝撃を受けました。
病気になってしまえば、今当たり前のようにやっていることもできなくなる。今の楽しみも味わえなくなってしまうことを知られたのです。
西の門から出られるときには葬式の列を見られ、どんな人も必ず死なねばならず、死ねばひとつまみの白骨となる、人生のはかなさを知られました。
死を前にすれば、どんな楽しみも一瞬にして楽しめなくなり、人生を苦しみと不安に染めてしまう。その人生の実態を痛感させられたのですね。
最後、北の門から出たときに、修行僧に出会いました。老いと病と死を超えた、真の幸福を求めて修行をしている者ことと知った太子は、私が進むべき道はあの修行僧の道である、と悟ったといいます。
「諸行無常」であるがゆえの苦しみ
このエピソードからわかることは、
老いや病や死によって楽しみや幸せがいつなくなってしまうかわからない、だから常に不安やむなしさがなくならない、ということです。
お釈迦様は人間の苦しみには3通りあることを教えられています。3通りの苦しみを三苦(さんく)といい、以下のものです。
- 苦苦(くく)
- 壊苦(えく)
- 行苦(ぎょうく)
①苦苦
苦苦は、肉体の苦しみのことです。暑すぎたり寒すぎたり、あるいは飢えや渇きによる苦しみが苦苦です。
②壊苦
壊苦は「楽事の去るによって成ずる苦」といわれ、好ましい状態が次々と壊されていくことに生じる苦です。
築き上げた富と財産が失われてしまったり、
周囲の評判が悪くなって、あがった地位から降りねばならなくなったり、
大切な家族や友人と別れなければならなくなったときに感じる苦しみです。
③行苦
最後の行苦は、肉体による苦しみもなく、また好ましい状態が続いているにもかかわらず感じる苦しみのことです。
なぜ苦しいかといえば、たとえいまは健康で、財産もあって、良好な人間関係が築けていたとしても、病や事故や災害、他者からの攻撃や嫉妬によって何が起こるかわかりません。
すべてのものは移り変わり、ずっとは続きません。これを仏教では「諸行無常」といわれます。
無常をおそれ、不安になって苦しむのが行苦なのですね。
すべてのものがつづかず、ゆえに不安で苦しむ私たち人間がどうすれば心から安心できるのか?
その苦しみの解決を求めて太子は出家をし、悟りをひらかれ、自身の苦しみの解決をされました。
そして仏陀(ブッダ:悟りをひらいた人のこと)として私たちに苦しみの解決を教えられ、伝わったのが仏教なのです。
「1からわかる仏教講座」では、その苦しみの解決の方法をもっと詳しく話さていますので、ご関心ある方は講座にご参加ください(あるいは通信講座をご受講ください)。