縁って元々何のこと?仏教の「因縁生」から知る、縁の本来の意味
「1からわかる仏教講座」スタッフの minami です。
仏教講座のテーマの中でも特に関心を持たれる方が多いのが「人生がガラリと変わる『縁』」です。
「縁」は元々仏教から出た言葉ですが、今日では「人との出会い」という意味で使われていますね。
この縁のテーマに関心が集まるのは、それだけ人との出会いを重視し、良い縁と結びつくにはどうすればいいかが気になる、という方が多いからだと思います。
ではどうすれば良い縁に恵まれるのか、
そもそも縁とはどんな意味なのか、仏教ではどのように教えられているのかについて、仏教講座の内容をご紹介していきます。
※記事の内容が動画でも紹介されています
仏教で説かれる真理「因縁生」とは?
「縁」について教えられた
一切法は因縁生なり(大乗入楞伽経)
という言葉があります。
一切法とは、「万物、すべてのもの」という意味です。
因縁生とは、「因」と「縁」とが結びついて生じる、という意味です。
今日では、因縁というと「因縁を付ける」など言いがかりという意味で使われていますが、元々の意味はまったく違うのですね。
すべてのものは「因」と「縁」とが合わさって生まれている、というのが先の言葉の意味です。
これを「因縁生起」ともいわれます。
「因」というのは直接的な原因、これがなければ絶対に結果は生じないというもの。
「縁」は間接的な原因で、結果を生み出すのを助けるものです。
身近な例で考えてみましょう。
毎日食べている米を結果とすると、その「因」は もみだね ですね(あるいは苗)。それがなければ絶対に米はできません。
では もみだね さえあれば米はできるかというと、そんなわけはないですね。
もみだね を床に置いておいても、稲穂へは絶対に成長しません。稲穂へと成長するには、それを手助けする土、日光、水、肥料などが必要であり、それらが「縁」にあたります。
これは穀物の話ですが、それだけに限らず、私たちの身に起こるすべての結果は例外なく因縁があって生じている、と教えるのが仏教です。
因と縁。直接的な原因は「因」ですが、「縁」がなくてもやはり結果は生じないので、どちらも大切といえるでしょう。
「袖振り合うも多生の縁」の本当の意味とは?
縁という言葉が入った有名なことわざに
「袖振り合うも多生の縁」
があります。
「たしょう」を「多少」と書かれていることもありますが、正しくは「多生」です。
多生とは、多くの生と書くように、果てしのない過去から生まれては死に、生まれては死にを繰り返してきた、という意味です。
果てしのない過去から、なんて言われると面食らう方もいるかもしれませんが、何度も生まれ変わって今がある、というのが仏教の生命観なのですね。
袖振り合うというのは、道で行き交ったり、電車で隣同士なったりするような、ほんの些細な結果のことです。
しかしそんな小さな結果は実は、果てしのない過去からの縁があってこその結果である、ということなのですね。
まして毎日顔を合わせるような人は、過去からのよほどの縁があったといえるでしょう。
そのように過去世からの縁があるので、良い人に限らず、悪い人との出会いもあるのが私たちですが、付き合い方を変えたり、あえて離れてみたりと、縁を選んだり、縁を遠ざけたりすることも可能です。
なかなか良い結果が得られずに悩んでいるときは、ぜひ「縁」に注目してみてください。
自らを正してこそ、良い縁を引きつけられる
良い結果に恵まれるには縁を選ぶことも大切ですが、同時に、自らを正してこそ良い縁を引きつけることもできるのです。
一昔前と比べれば、現在は転職をされる方が増えています。
会社や社会のため、また自己実現のために自分の能力を最大限発揮できる環境を選ぶ、ということはもちろん大切ですね。
しかし、仮に自己の言動を顧みずに、職場の不平不満ばかりを口にし、転職を繰り返す人がいたら、どう思うでしょうか?
そんな人は残念ながら、どんな職場に行ったとしても不平不満がたまっていくでしょうし、一緒に働いている人も決して良い印象を抱かないでしょう。
このように「因」に目を向けずに「縁」ばかりを問題にしている人は、良い縁に恵まれることもないでしょうし、そもそも良い縁を悪いものに変えてしまうことさえあるでしょう。
反対に、自らを正している人は、周りにも良い影響を与え、環境も整えられていくでしょう。
因と縁。両方に着目して、良い縁を引き寄せていきたいですね。