【慈悲】
『慈悲』という言葉があります。
「あの人は慈悲深い人だ。」
「あいつ、無慈悲な奴だぜ。」
と使ったりすることもありますが、
元来、仏教の言葉です。
『慈』とは、「抜苦の心」、
『悲』とは、「与楽の心」ということです。
苦しみ悩んでいる人がいれば放ってはおけない、
何とか元気になってもらいたい、
そのような心が出てくるときは、私たちにもありますが、
その心を「慈悲」というのです。
苦しんだり、悩んでいる人がいると、
かわいそうになる、切なさで胸があつくなる。
東日本大震災のその後の状況など見聞きすると、
気の毒で、切なくて、
少しでも私が貢献できることはないだろうか、と
やるせない気持ちにさせられます。
このような心を『慈』の心と言います。
『悲』の心とは、
相手に楽しんでもらいたい、
笑ってもらいたい、喜んでもらいたい、という心です。
お釈迦様は
『父に大慈あり。母に大悲あり。
子の身体、これによりて成就す』
と仰っています。
私たちが今日まで成長し、生きてこられたのは、
ひとえに親の慈悲あればこそです。
私がまだ小学生だったときに、
職員室で金切り声で怒鳴っている女の人がありました。
髪を振り乱して大人が大声あげている光景は、
当時の私は初めて見るようなものでしたから、
とても大きな衝撃を与えました。
それは、子供の告白により、
自分の子供がいじめられている事実を知った母親が
居ても立ってもいられず、
ヒステリックに職員室に怒鳴り込んできた場面だったのです。
自分の子供に辛い思いをさせたくない、と、
子供を守る母親の気持ちは真剣です。
その熱い『慈』の心が、
理性を失わせるのでしょう。
また友人がこんな話をしてくれました。
友人の9歳になる子供が、
黙ってディズニーランドのチラシを見ているそうです。
「行きたいけど、うちはお金がないから…」
と子供も気を遣ってか、
「行きたい」とは言い出さずに、
黙ってずっとチラシを見ている。
そんな子供のいじらしい姿を見ると、
お父さんもどうしようもない気持ちになって、
大人の付き合い旅行をキャンセルしてでも、となって
「よし、じゃあ今度の日曜日にディズニーに行くか」
と言ってしまう。
子供が無邪気に喜ぶ姿を見たくて、
自分の金や時間も惜しまない、親の「悲」の姿のあらわれでしょう。
このように親の慈悲も大変大きなものですが、
仏教では、「仏の慈悲」について説かれています。
『衆生苦悩我苦悩
衆生安楽我安楽』
の大慈大悲で説かれた教えが仏教です。