心があらゆる行為の元である その理由とは

前回の記事では、

仏教で人間の優劣は見た目ではなく、どんな行いをしているかで決まること、
人間に行いをさせるものには心と口と身体の三通りがあり、中でも心が最も重視されることをお話しました。

前回の記事はこちら
仏教で最も心が重視される理由 真実の姿とは心の姿

心と口と身体のうち、どうして仏教では心の行い(心で何を思っているのか)を重視されるのでしょうか?

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心があらゆる行為の元

世間一般でも、その人がどんな人かを判断するときに心を重くみることはあります。その人がどんな夢を抱いているのか。どんな主義・主張を持っているのか。それを聞いて「立派なひとだなあ」と判断することはありますよね。その人がどんな夢や主義、主張を持っているかで生き方は大きく変わっていきます。

このように世間でも心が重視されるのは、心で思ってることが口や身体の行いとなって現れるからです。

心によって口や身体は動かされるのであり、心で思っていないことを口が話したり、身体でやったりすることはありません。強い言い方をすれば、口や身体は心の奴隷なのですね。

ドイツの詩人であるハインリヒ・ハイネは

鉄は人を殺さない、殺すのは手である、手は心に従う

と語っています。

鉄というのは「武器」のことですね。いくら銃のような恐ろしい武器があっても、その銃を握って引き金を引かなければ銃が人を殺すということはないのです。私たちの「殺してしまいたい」という恐ろしい心が手に銃を握らせ引き金を引かせるのですね。だから心が人を殺す行為の元であり、心が元凶なのですね。

最近は小型の無人航空機である「ドローン」がニュースで取り上げられることが多くなっています。今年4月には首相官邸にドローンが落下し、大きな騒ぎとなりました。ドローンが落下したことで、なぜそこまで騒がれるのかわかりませんでした。オモチャのようなものに、どうして大変危険だ、規制すべきだ、といわれるのか。

ドローンはラジコンと違ってプログラムを組めばGPS機能を使って自動で特定の場所に飛ばすことできます。そして、小型の爆弾であればドローンに搭載できるそうです。それらを使えば、特定の場所を爆弾を落として攻撃するなどテロ行為さえ可能になってしまうのですね。

そう聞くと、確かにドローンは恐ろしいと思うのですが、それを動かしているのはあくまで人間であり、大元は心なのですね。ドローンはテロ行為にもつながる武器になってしまうのですが、雄大な景色を撮影してくれるという使い方もあるのです。ドローンが撮影した景色は絶景ともいわれます。だから、機械を動かしている人間の心こそが問題にすべきなのです。

あれ欲しい、これ欲しいという心が尽きることはない

もう一つ、心が重要であることを教えた話を紹介します。

石川五右衛門という人を聞いたことはあるでしょうか?

石川五右衛門といえば、江戸時代に金持ちから金品を盗んで、貧しい人にばらまいたといわれる天下の大泥棒です。貧しい民衆にとってはヒーローのような存在ですが、金品を盗めば罪人。江戸奉行は五右衛門を捕まえようと必死になります。

ついに五右衛門が捕らえれると、江戸奉行は五右衛門の仲間も一網打尽にできると大喜びです。

しかし五右衛門は捕らえられた際に詠ったとされるのが

石川や 浜の真砂は 絶ゆるとも 世に盗人の 種は尽きまじ

の歌です。

石川は自身の苗字にも掛けていて、「たとえ川の浜の真砂がなくなったとしても、世の人々の盗人の種(これが欲しい、あれが欲しいという心)はなくなることはない」と言う意味です。仮に五右衛門とその仲間がすべて捕まったとしても、世に盗みがなくなることはありません。それは、盗みの大元は盗人の種(心)であり、それが世の人々から尽きることはないからです。五右衛門がいなくなったところでまた第2、第3の五右衛門が現れるだけなのですね。

だから問題にすべきは心なのですが、心を取り締まることはできません。それを痛烈に皮肉った五右衛門の辞世に深くうなずかずにおれません。

このように、世間一般でも心が重要視されることは多くありますが、仏教ほど心が重く見られることはありません。その心ではどんなことを思っているのか。心の姿を知ることで、人間の本当の姿を知ることになるのです。

その心の姿について引き続きご紹介していきます。

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