本当の幸せって何だろう?
気象庁に勤めている友人から聞いたのですが、地震の翌日、瓦礫となった家の前で、一人のおばあちゃんがしゃがみこんでしまっていたそうです。
消防隊員が「おばあちゃん、避難所に行くよ。」と呼びかけても、
「わしはもうここでいい」
と言って、その場を動こうとしないそうです。
胸が詰まるような思いのする話です。
その後、避難所生活をしている103歳のおばあさんが自殺した、というニュースもありました。
東日本大震災から半年後の陸前高田5 Six Months after The East Japan Earthquake in Rikuzentakata5 / Yuya Sekiguchi
103歳ですから、戦争中でも、「欲しがりません、勝つまでは。」と必死にがんばった方でしょう。
その後、敗戦で瓦礫しかなくなった、焼け野原の日本を経験し、そこからまた、がんばって仕事をし、
家族を支え、
子供を育て、
家を建て、
必死に生きて今の日本を支えてこられたのに
身体が動かない今になって、またすべて瓦礫と化してしまった。
何度も積み上げては、賽の河原で壊されていく、それが人生ならこれから先、またどこに向かって頑張ろうというのでしょう。
家が流され、家族を失い、多くのものを失った老人になんと言ってなぐさめ、生かすのだろうか・・・と思うのです。
どこに向かって生きるのか
よく「夢を持て」と言います。
でも夢破れて、茫然自失の人に「夢を持て」という言葉は出ません。
「生きる意味」を真剣に問わずにおれないのではないでしょうか。
「がんばろう日本」
「日本の力を信じてる」
といわれます。
でも、どこに向かって頑張るのでしょう。
敗戦後、焼け野原の中から、経済大国にまでなった日本ですが、自殺率は年々増加し、その数は戦中や、戦後まもない時よりずっと多いのです。
物にあふれても、どこか空虚な気持ちが蔓延していたところに、このたびの震災です。
新聞などで『第二の敗戦』といわれますが、また元のようなバブルのような状態目指して頑張ろう、というのでしょうか。
がんばろう、というが、いったいどこに向かって、なんでしょうか。
また元のような状態に戻すのが復興なのでしょうか。
火にも焼けず、
水にも流されず、
地震でも崩れない、
死がきても崩れない幸せがほしい。。。
仏教の答えを学んでみませんか?