運命は何が決めるのか? 運命の不思議 と 因果の道理
先日、『運命は何によって決まるか』という演題で話をしていた仏教講座に40代の主婦の方が来られ、休憩時間に言われたことが心に残りました。
その方は8畳一間の和室で、夜、ご主人と一緒に布団を並べて休んでおられます。ある日、ふと夜中に目を覚まして横を見ると、いつものようにいびきかいて寝ている夫の横顔がある。
それを見てしみじみ思うことがあるそうです。「なんで私の夫は『この人』なんだろう?」と。
from here on / spinster cardigan
「なんでこんな嫌な奴を夫にしてしまったんだろう。」というような辛辣な気持ちで言われたのではないですよ。
ただ「不思議だな」と思うそうです。
「なんで私の夫は『この人』になったんだろう。」
たくさんの異性が世の中にいて、独身の時に自分の前に現れた男性は何人かあったのに、その中でなぜこの人が「私の夫」になったんだろう・・
不思議・・・
と思われるそうです。
結果には必ず原因がある
いかがでしょう。
そんなようにあなたは思われたことはありませんか。
この人を夫に持つようになった、それはあなたに表れた結果です。
その人を夫に持つという結果。それには必ず原因がある。そうなる原因があってそうなった、と仏教では説かれています。
夫だけではありません。
「なぜうちの子は『この子』になったんだろう」と思うことありませんか。あるいは、最も大きな影響を持つのは親でしょう。
「なぜ私の親は『この人』なの?」
世の中にたくさんの親はいるのに、なぜよりによって『この人』になったんだろう?
こんなこと思うことありませんか。
もしそんなこと一度も思ったことない、と言われるなら、それは、なんというか、おめでたい人、というべきか。。
親を恨んでしまっても仕方ないような、そんな親の元に生まれたら、やはり「なんで『この人』だったのか」思うなといわれても思うでしょう。
これはすべて結果です。
それにはそうなる原因があってのことなのです。
ではその原因は何か。仏教は説き明かしていくのです。